尼崎城
別名 琴浦城 尼丘城 |
付近住所 尼崎市北城内・南城内 | 現在 尼崎城址公園・他 |
2004/10/14 | 碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
建部政長 林田藩へ 膳所藩より 戸田氏鉄 大垣藩へ 掛川藩より 青山氏 幸成→ 幸利→ 幸督→ 幸秀 飯山藩へ 掛川藩より 桜井松平氏 忠喬→ 忠名→ 忠告→ 忠宝→ 忠誨→ 忠栄→ 忠興 |
尼崎城は、現在の北城内・南城内の約300M四方の地域に築造され、三重の堀を持ち、現在の庄下川も西側の外堀として利用されました。沖から見ると城全体が海に浮かんでいるかのように見え、美しく水に写る姿は「琴浦城」の名称で親しまれていました。本丸(現在の城内中学校付近)には高さ約18Mの四層の天守閣が築かれていました。この尼崎城は、元和4年(1618)から数年かけて、譜代大名の戸田氏鉄によって築城されたものです。現在地あたりは二の丸の前の内堀と中堀を結ぶ横堀や「四角堀」と呼ばれる内堀と外堀を結ぶ縦堀のあったところで、この付近に「伏見門」がありました。戦国時代までの中国街道が旧町場を抜けて通っていました。 |